■GiFT Curve(これまでの自分の共有)
Fumi’s GiFT Curve(栗林文さんのGiFT Curve)
最初に英語に興味をもったのは13歳(中1)のとき。とにかく英語の授業が楽しかったのを覚えています。英語の先生がとても素敵な先生で、英語が大好きになりました。この頃から留学したいなとは思っていたけれど、そのイメージは漠然とした感じで、大学生くらいで行けるだろうと何となく思っていました。
高校に入学してからは、中学から続けていた吹奏楽をさらに力を入れて本格的にやるようになりました。吹奏楽部で副部長になり夢中になることができてエネルギーは上向きだったけれど、音楽の比重が増えてきた分、このころも海外に興味はあったけれど留学は先延ばしにしていた時期です。
高校卒業後1年間受験勉強をしていたので、この時期はそれこそ机と向き合う毎日でした。英語を含め勉強は続けていたけれど、今までで一番と言っていい程人とのコミュニケーションが無かった時期。だからエネルギーも低くなってます。
その後、現在通っている明治学院大学の国際キャリア学科に入学。ここで私の世界観が一気に広がりました。国際キャリア学科には帰国子女の仲間もたくさんいて、海外生活の長い友人の話を聞くことで、それまでは夢のように漠然としていた留学や海外というものが、一気に身近に感じられるようになりました。
ただ、勉強環境が全て英語という環境なので、日本語の環境で学校に通っていた私にとってはまるで異世界で、勉強していた文法は大丈夫でも、英語で話す・人と関わる・ディスカッションするとなると、どうしても経験が足りません。この頃は毎日が大変で、大きな壁に打ち当たった時期、GiFT Curveでも急激にカーブが落ちていた時期になります。
けれどそんな日々も、帰国子女の友達に助けられたり、自分と同じようなバックグラウンドを持つ友達と一緒に取り組んだことで、大学2年生くらいから少しずつその壁を乗り越えることができたと感じています。
そんなとき転機となったのが、辰野先生の授業。サービスラーニングの授業を通じて、新しくボランティアなどに関わっている友人たちと知り合いました。そんな行動力あふれる友人たちから刺激を受け、自分ももっと行動していかないと変わらないな、と感じるようになりました。またその授業で山田さんの事を知ることができたお陰で、今の自分がいるのだと思います。
今はカーブもぐんと上がってきていて、来年度からはインターンシップに挑戦する予定です。新しい環境で新しいことを始め、それを成功させるんだ!というやる気もみなぎっています。5年後、10年後どうなっているのか。自分の将来が楽しみです。
Kuboken’s GiFT Curve(久保健太郎さんのGiFT Curve)
幼少期から中学校あたりまでは、人とのコミュニケーションが今では考えられないくらい苦手でした。クラスの人気者に憧れていたタイプです。高校2年の冬から1年間、オーストラリアに留学しました。高2の春までは留学の「り」の字も無いぐらい全く考えていませんでしたが、たまたま中学時代に通っていた塾の先生の留学体験談を耳にし、それから1週間のうちに留学を決めました。この決断が全ての始まりでした。異国の地で経験した自分の語学力や内向的な性格との戦いは、今でも財産です。そして、現地で自分の人生を変える言葉と出会いました。
「縁というのは、呼び込めるんや」
予期せぬ縁や出会いは偶然。偶然だけれど、自発的に動き、人と関わり、積極的に参加することでそれらは増やすことが出来るという考え方です。それからというもの、縁を求めて様々な場に関わるようになりました。
留学後は、所属する留学団体で留学生を支援するボランティアを開始。大学1年時に代表を務め、そのプレッシャーに圧し潰された時期もありました。GiFT Curveでも特にエネルギーに波があった部分です。その後、大学2年時に内閣府主催の「世界青年の船」事業へ参加して曲線は急上昇。留学を終えてすぐに知った事業を3年間温めての参加でした。文字通り目が回るような出会いと経験の渦に飛び込み、非現実的だと感じる程に充実感に満たされた時期でした。
下船後、就職活動を前に休学するかどうか悩み、自分が尊敬する人々30名以上に話を聞きにいきました。賛成に反対、返ってきた意見は千差万別で答えは出ず、結局決断を下すのは自分なのだと思い知らされましたが、最後は自分の心に正直な方を選びました。大学3年の一年間を休学し、世界青年の船のつながりを活かしつつ南米はペルーとエクアドルに半年間のスペイン語留学を決行しました。
帰国してからは南米で集めた東北でのメッセージの展覧会や就職活動、そしていくつかの国際交流の場を経験し、今は学生の特権である「時間」を最大限に活かしてやろうと、まだまだ予定を詰め込んでいるところです。
就職、結婚、転職、放浪・・・この先何が起こるかわかりませんが、6年後には今の自分以上にフットワーク軽く、人との繋がりを大切にする三十路を目指します。
Takako’s GiFT Curve(山田貴子さんのGiFT Curve)
私のカーブは小3からスタートしています。担任の先生に「もっとがんばれるから、来年からいろいろやってごらん」と言われたことで、自分のからがとれて、いろんな可能性が見えてきたのが今の私のスタートです。
中2の時には2週間だけオーストラリアにいきました。抽選で選抜される枠で、見事に当たって、オーストラリアへ。オーストラリアの学校に行ってみて、日本の学校とは全然違う学校の様子にびっくりしたのを覚えています。帰国してからもしばらくは高校から留学したい!というくらい興奮していました。
ただ、中3で親戚と共に一緒にスイスへ山登りに行き、その体験があまりに大変で、こんなに大変なら受験勉強に集中しよう!と海外熱が少し冷めていき、高校生活は他のやりたいことに集中していたので、エネルギーは高かったものの海外を意識することは弱めでした。
大学はSFCへ進学。大学時代に旅行で訪れたサイパンで、フィリピン人のおじさんと出会ったことがきっかけで、フィリピンに興味を持って、気がつけば大学2、3、4年とフィリピンを訪ねていました。大学時代は同じくサイパンで出会ったバングラディッシュ人の友人にも遊びにおいでと言われて、ODAの民間モニターでバングラディッシュへ行く機会をもちました。日本が国として海外にどんな支援をしているのか、を見ること機会になりました。
そんな体験を続けていた私に起きた転機は、やはりフィリピンで起きました。現地で現地のために活動をしているつもりでいたけれど、現地の子どものお母さんに「あなたがここにて、子どもは楽しんでいるかもしれないけれど、子どもが働かなかったので今日の私たちが食べる物はないのよ」と言われたんです。その一言で自分の活動を改めて考え直しました。
一種の挫折のような体験を通じて、フィリピンでの活動ではなく、地元の活性化などに取り組む道も考え、活動したこともありましたが、フィリピンの子供たちに出会い、彼らのエネルギーを知ってしまったから、やはり彼らのために何かしたい、と思って立ち上げたのがWaku Work Englishです。
今後は、Waku Work Centreを作り、フィリピンにいるみんなと一緒に何かできたらいいな、と思っているところです。
←Check In
GiFT Curve
Dialogue→
Check Out→
GiFT Story→